ひとのこころとからだ 第四回:「芸術と医療と変性意識」

医学

稲葉 俊郎講師

ひとのこころとからだ 第四回:「芸術と医療と変性意識」 について

この講座は終了しました。

ひとのこころとからだ

芸術と医療とは遠いものだと考えられていますが、自分は「芸術を極めると医療的な働きを持ち、医療を極めると芸術に近くなる。」と考えています。

現代の西洋医学はまず「病気」を定義します。病気を否定的なものと考え、逃れよう、戦おうとするための様々な方法が体系的に集められています。
それに対して、伝統医学や代替医療では、まず「健康」を定義します。「健康」とは「調和」と表現しても構いません。自分のバランスが崩れて不調和な状態になった時に、再び「健康」的な「調和」の状態に戻って行こうとするための様々な方法が体系的に集められています。
それぞれに一長一短があります。 西洋医学は「病気」にフォーカスし、伝統医学や代替医療は「健康」にフォーカスするわけです。

昨今、芸術や文化が医療と分離しているのは、ひとのからだやこころの捉え方が、西洋医学の考えだけで満ちているからだと思います。
芸術は、こころやからだに対して調和の場を作る手段でもあります。芸術は広い意味で医療的なのです。それは養生法、予防医学と言ってもいいでしょう。
今後、芸術が医療の分野で真剣にとりあげられていくことを願ってやみません。

では、そんな遠くなってしまった「芸術と医療」とをつなぐものはなんでしょうか。
その秘密は「意識の階層構造」にあります。

仏教の唯識や心理学でも 言われているように、人間の心の働きとしての「意識」には階層構造(Layer)があります。
「意識」と「無意識」という二元的な分類方法もありますし、東洋思想で言われるような「表層意識」と「深層意識」といいグラデーションによる分類方法もあります。また、「顕在意識」と「潜在意識」などと表現されることもあります。もちろん、さらに精妙に分類していくことも可能です。分類法にあまりこだわりはありません。意識やこころの働きには、わかりやすい「浅い場所」とわかりにくい「深い場所」があるわけです。

偉大な哲学者・言語学者でもある井筒俊彦先生は、「意識と本質―精神的東洋を索めて」(岩波書店、1983年)の中で、東洋と西洋を哲学・思想により結 び付ける野心的な試みをされていました。それは「東洋哲学の共時的構造化」と表現されていました。

『東洋の主要な哲学的諸伝統を、現在の時点で、一つの理念的平面に移し、空間的に配置しなおすことから始まる。
つまり、東洋哲学の諸伝統を、時間軸からはずし、それらを範型論的に組み変えることによって、それらすべてを構造的に包み込む一つの思想連関的空間を、人為的に創り出そうとするのだ。』
井筒俊彦「意識と本質」より

少し難しい表現だったかもしれませんが、井筒俊彦先生は人類の哲学の歴史を「意識の階層構造」により、その本質や共通性を見出しながら一つのテーブルに乗せようとされたのです。

「意識の階層構造」の理解は、極めて医療的な側面も含んでいるのです。

私たちが意識できる表層意識や顕在意識だけでは、芸術の医療的な働きも「理解できない」(合理化できない)こともありますが、そこに深層意識や潜在意識という補助線を準備することで理解し、受け入れやすくなるからです。

「表層意識」と「深層意識」をつなぐ領域でもあり、分断させる領域でもある、異なる世界のあわいの領域を「変性意識」と呼んでみます。

日本の能楽をはじめとする古典芸能の世界にも、この深層意識や変性意識に関する智慧が存分に込められています。芸術や美としての古典芸能の世界には、そうしたひとのこころやからだに 関する叡智が、タイムカプセルのように込められているわけです。

今回の<ひとのこころとからだ 第四回>では、芸術と医療の接点として「意識の階層構造」「変性意識」について概説していきます。
そのことで、未来の医療がこころとからだに対する総合的で豊かなものになることを願ってやみません。

「そもそも、藝能とは、諸人の心を和らげて、
上下の感をなさんこと、寿福増長の基、
遐齢延年(かれいえんねん)の法なるべし。
きはめきはめては、諸道ことごとく
寿福延長ならんとなり。」
世阿弥『風姿花伝』第五 奥儀に云う

<参考文献>
・井筒俊彦「意識と本質―精神的東洋を索めて」(岩波書店)
・世阿弥「風姿花伝」(岩波文庫)

予約受付終了

ひとのこころとからだ 第四回:「芸術と医療と変性意識」 講座情報

講座名
ひとのこころとからだ 第四回:「芸術と医療と変性意識」医学
講師
稲葉 俊郎講師医師
日時
2016年3月27日(日)
10:00-12:00
場所
旧安田楠雄邸庭園
東京都文京区千駄木5-20-18
参加費
3000
定員
40名

『ひとのこころとからだ』について

本講座では、人間の「謎」に注目しながら、「あたま」、「こころ」、「からだ」、「病い」、「生や死」・・・それぞれの接点や重なりを考察し、人間や生命に対する深い理解に至れるよう努めます。

病や死は、他者だけではなく自分も含めて誰にでも平等に訪れます。そういう状況に遭遇した時に、ふとこの講座の内容をふと思い出し、別の見方もできるようになればうれしいです。また、聞き手の方が各自で研究や考察を深めて頂き、別の機会で自分にも教えて頂けるとうれしいです。

日々医療の現場で働いていると、生や死や老いや病、人間や自然や魂や生命に関して考えざるを得ません。実際の医療現場では答えが用意されているわけではないので何が正解なのかは分かりません。ただ、その瞬間その瞬間でベストと思われる選択肢を選びながら、共同作業のようにケアやキュアは行われていきます。いづれにせよ、人間とはなんとも不可解で矛盾に満ち満ちた愛すべき存在だとも思います。そこに可能性があります。

「わたし」とは果たしてなんでしょうか。なぜ生や死があり、人間はなぜこの世に生まれて死んでいくのでしょうか。死とはなんでしょうか。死んだら人間はどこにいくのでしょうか・・・・。
自分にもさっぱり分かりませんが、日々の医療現場で膨大な事例に巻き込まれながら、臨床現場を素直に観察しつつ、様々な文献とあわせて考察を深めていくと、色々な発見や驚きがあります。現場から学んだ知見は単なる知識で完結するのではなく、実際に応用できることが多いものです。医療の臨床現場で得た「にんげん」全般に関する知見を対話しながら共有することは、自分にとっての学びでもあります。

自分は、人間の可能性や治癒の力を信じています。可能性にはプラスもマイナスもありますが、それもすべて含めて人間の可能性を信じながら医療現場で働いています。この世界の多様性と個別性を両立させながら、誰もが自分らしく自立して楽しく生きることができる社会をみなさんと創造していきたいと考えています。よろしくお願いします。