愛響で書(愛嬌でしょ!)

西林 真紀子講師

愛響で書(愛嬌でしょ!) について

この講座は終了しました。

愛響で書(愛嬌でしょ!)

上手より「愛」で書くことが大切です。何千年も前に作られた漢字のほとんどが、宇宙の母から生まれたものです。少数民族の絵文字も同様です。例えば「楽」の字は、巫女のような人が、天地自然のあらゆる恵みに感謝し、楽しい舞いを捧げる姿です。字の奥にあるものに感動しながら、それを心の躍動のままに書くことで、「命が喜ぶ」ことを深く自分で体得します。あらゆるルールや型にとらわれず、あらゆる執着をとりのぞくことで、自分の本来の原生態(ありのまま)を心からさとります。

予約受付終了

愛響で書(愛嬌でしょ!) 講座情報

講座名
愛響で書(愛嬌でしょ!)
講師
西林 真紀子講師タオ書画作家・古代中国思想博士
日時
2016年4月17日(日)
13:30-15:30
場所
浅草公会堂第三集会室
参加費
4000
定員
定員未定

『愛響で書(愛嬌でしょ!)』について

芸術は全てである
芸術は人生の一部分ではありません。あらゆるものと区別されるものでもありません。ある限られた世界でも、ある特定の人のためでもありません。人間そのものであり、全ての根源であり、あらゆる本質が自由に生きる場です。

老荘思想(道(タオ))と芸術
古代中国に生まれた思想のひとつ、老子(ろうし)、荘子(そうじ)を代表とする「老荘思想」(道)は、人としての本来の自然な生き方を説きます。宇宙や人間の存在そのものを見つめ、古来、天地自然の立場から、人間の精神をしばりつけようとするいつわりの社会の解毒作用をはたし、自由な思想(無為自然)に基づく開かれた世界をつくりました。自我(欲)を捨て、無垢に、ありのままに生きる、という「人間らしい道にかえる」ことを大切にしました。
芸術は無為自然と一体です。芸術に必要なのは、「人間らしい生き方」「その人そのもの」、ウソ偽りのない純粋性と、ありのままの自分を生きる勇気です。
誰かのためとか、なんのため、ということではなく、雪が溶けて川が流れ、陽が照れば、それに和して咲く花のように、人にきれいに見られるため、好かれるため・・・ではなく、大いなる自然そのもののなかで無為自然を生きると、誰のために咲くのか?なぜ生きるのか?といった疑問も、自我も消え去り、“ありのままの自由な自分”への気づきがあるはずです。
2500年も伝え継がれてきた無為自然の思想には、芸術とともに、ストレスの多い現代の充分な助けとなり、もっと元気にさせる温泉療養地のような力があります。

芸術は宇宙
芸術は宇宙です。枠や型、境界や限界もありません。苦・悩み・とらわれを生む人間が作る欲やルールは通用しません。
なにもとらわれず、なにも執着をもたず、作為の無い、ありのままの自然体が大切です。先の結果や効果、利益などを考えず、無心になり、あとは天然自然の力、見えない力にゆったりゆだねればよいのです。

本物の愛
人間の内部には非常に強いエネルギーがおさえこまれています。本物のエネルギー(愛)で生きる力を身につけることが必要です。全心身を挙げて打ちこみ、命のエネルギーを思いきり躍動させることが大切です。
命は響きあうことでもっと大きく広がります。青空いっぱいに花を咲かせるように、みんなが本物の愛の命を飛ばせば、自分のためだけではなく、人類全体、宇宙にも影響を及します。本来、人間の身体や精神も、宇宙自然と一体のものであって、個人の所有物ではないのです。柔軟に、あらゆるものから解放されて自由であればこそ、宇宙と一体となって新しい命を創造することができるのです。

本質を生きる
芸術に大騒ぎする必要はありません。まずは技術や知識は重要ではありません。それらは無為自然を表現する幅と奥行きを豊かにさせますが、何より重要なのは、それらを超えた「人間そのもの」「純粋性」です。
マイナスの考えやことばを消去していくことも大事です。これは無為自然の流れを邪魔します。本質とかけ離れた自我だからです。今この瞬間からマイナスを本質のプラスに変えて、エネルギーを良い方向へ戻す必要があります。
古来、人間は自分の本質を見失いそうなときには、月を望み、木に向き合い、宇宙自然のエネルギーに溶け込むことで、本当の愛、優しさ、強さで生きる勇気を取り戻し、人間らしい道に生きてきました。その姿は、漢字のなかにも見ることができます(「望」…月を眺めながらその輝きを心に通す。「相」・・・木を目で見つめながら本質を悟る。)。

摩訶不思議な自分
無為自然の芸術には、摩訶不思議な自分自身という存在を自覚する哲学的契機が含まれています。
大切なのは、どんな仕事についているか、どんな暮らしをしているかではなく、どんな生き方をしているかです。狭い枠にこだわらず、一瞬一瞬を、あらゆる本質の発見の大切な足場として、命が喜ぶ感覚をたくさん味わいながら人生をつなげていくことです。無為自然は常にだれをも芸術に生きることを、自由に生きることを歓迎しています。