ひとのこころとからだ 第三回:生と死のあわいとしての「わたし」

医学

稲葉 俊郎講師

ひとのこころとからだ 第三回:生と死のあわいとしての「わたし」 について

この講座は終了しました。

ひとのこころとからだ

古来の日本人は、あの世を「とこよ(常世)(常夜)」と表現していました。
死んだら「永遠」の世界としての「常世」に戻ると考えていたようです。
「常世」に対して、今生きているこの世界を「現世(うつしよ)」と呼びました。
この世は、永遠である「常世(常夜)」を鏡に映した虚像であり、そんな一時的な仮の宿に生きていると考えていました。
この世から見ると、あの世へ行くことは「死」ですが、あの世から見ると「誕生」になります。
それは単なる視点の違いなのでしょうか。

そもそも、人は本当に「主観的な死」を体験できるのでしょうか。
人は必ず死ぬのに、なぜ生まれてくるのでしょうか。
人は、死んだらどこに行くのでしょうか。
あの世は、あるのでしょうか。
たましいは、本当に輪廻するのでしょうか。・・・・・・・・

問いを作ろうと思えば無限に作れますし、賛成の意見も反対の意見も無限に作れます。
自分も絶対普遍の真理があるのかどうか、わかりません。

ただ、医師として臨床の生死の現場で働いていると、
死の間際でUターンして帰ってきた臨死体験(NDE: near death experience)を語る方々、
生まれてくる前の話(胎内記憶、出生前記憶、中間生記憶、前世記憶、未来世記憶・・・・)を語る方々、、、
などなど。
生や死への理解を深め、さらに謎をも深める興味深い体験談をこっそりとよく聞きます。
常に興味は尽きることがありません。

このような体験談は、「この人に言っても馬鹿にされる」と思われると永遠に語られることがないので、
こちらの態度を相手から試されているとも言えます。

学問は、偏見を強めるためのものではなく、偏見から自由になるためのものだと思っています。
生や死を多角的に表現する色々な体験談をベースに、
生と死の不思議なあわいの世界を共に考えてみましょう。

面白い体験談を持つ方々のご参加やご報告も、大歓迎してお待ちしています。
自分にも是非教えてください。(^^

予約受付終了

ひとのこころとからだ 第三回:生と死のあわいとしての「わたし」 講座情報

講座名
ひとのこころとからだ 第三回:生と死のあわいとしての「わたし」医学
講師
稲葉 俊郎講師医師
日時
2015年3月17日(火)
18:30-20:30
場所
浅草公会堂第二集会室
参加費
1500
定員
55名

『ひとのこころとからだ』について

本講座では、人間の「謎」に注目しながら、「あたま」、「こころ」、「からだ」、「病い」、「生や死」・・・それぞれの接点や重なりを考察し、人間や生命に対する深い理解に至れるよう努めます。

病や死は、他者だけではなく自分も含めて誰にでも平等に訪れます。そういう状況に遭遇した時に、ふとこの講座の内容をふと思い出し、別の見方もできるようになればうれしいです。また、聞き手の方が各自で研究や考察を深めて頂き、別の機会で自分にも教えて頂けるとうれしいです。

日々医療の現場で働いていると、生や死や老いや病、人間や自然や魂や生命に関して考えざるを得ません。実際の医療現場では答えが用意されているわけではないので何が正解なのかは分かりません。ただ、その瞬間その瞬間でベストと思われる選択肢を選びながら、共同作業のようにケアやキュアは行われていきます。いづれにせよ、人間とはなんとも不可解で矛盾に満ち満ちた愛すべき存在だとも思います。そこに可能性があります。

「わたし」とは果たしてなんでしょうか。なぜ生や死があり、人間はなぜこの世に生まれて死んでいくのでしょうか。死とはなんでしょうか。死んだら人間はどこにいくのでしょうか・・・・。
自分にもさっぱり分かりませんが、日々の医療現場で膨大な事例に巻き込まれながら、臨床現場を素直に観察しつつ、様々な文献とあわせて考察を深めていくと、色々な発見や驚きがあります。現場から学んだ知見は単なる知識で完結するのではなく、実際に応用できることが多いものです。医療の臨床現場で得た「にんげん」全般に関する知見を対話しながら共有することは、自分にとっての学びでもあります。

自分は、人間の可能性や治癒の力を信じています。可能性にはプラスもマイナスもありますが、それもすべて含めて人間の可能性を信じながら医療現場で働いています。この世界の多様性と個別性を両立させながら、誰もが自分らしく自立して楽しく生きることができる社会をみなさんと創造していきたいと考えています。よろしくお願いします。