藝術との対話 層状のNarrative 〜ものがたりとしての病と芸術〜

定期講座

原木 万紀子講師

藝術との対話 層状のNarrative 〜ものがたりとしての病と芸術〜 について

この講座は終了しました。

藝術との対話

「層状のNarrative
〜ものがたりとしての病と芸術〜」
例えば、誰かと同じ経験を有していることで、何だか親近感を覚えたことはないでしょうか。
同じ音楽を聴いたことがある、流行の甘味を食べに行ったことがある、富士山に登ったことがある、美術館に行って同じ絵画を観たことがある等々。。。
しかし、もちろんそれらの経験は厳密に“同じ”ではありません。
ある人は悲しい気持ちで、ある人は誰かと一緒に、ある人は何も意識することなく、貴方と同じ経験をしたかもしれません。
経験の背後にある景色や心情はそれぞれに異なり、一時点としてではなくその経験以前の物事と密接な関係を有しています。
観たことある、聴いたことある、食べたことがある。。。
経験は、くくられる言葉が同じでも、人それぞれに積み重なっているものが違うため、語られるものがたりも異なってくるのです。

医学において病名は、ある疾患を持つ人々をくくるために重要な役割を果たす一方で、彼らの病の背景をも一色旦にくくりかねない可能性を秘めています。もちろん経験と同様、病を持つ人々の背景も1人1人異なり、近年では科学的な根拠(Evidence)を元に治療を行うEvidence-based medicineから、語られるものがたり(Narrative)を重要視するNarrative-based Medicineの重要性が提唱されつつあります。
そして語られるものがたりの重要性は、医学の世界だけではなく、近代以降の芸術においても見て取ることができるのです。
今回の講座では、Narrativeという言葉を通して、医学と芸術における“語られるもの”の重要性を、両分野を交えながら少しずつ探って行きます。

*****前回の講座*****

“見る”と“読む”
〜切り替わり変化する認識について〜

例えば、筋肉や骨格、内臓や血管、そして神経が描かれた人体の解剖図。その都度解剖を行うことなく、人体の情報を閲覧者に提供するため、解剖図は幾度となく多くの人の手によって作成されてきました。
もちろんそれは医学に携わる人々のための大事な人体の情報源であった一方で、中世ヨーロッパでは、資本家階級のブルジョアジー達が熱を上げて収集をしていたという一面もあります。医学者達には、解剖図は情報を読み取るためのツールであり、
ブルジョアジー達にとっては絵画と同様、純粋な視覚対象であり美的価値のあるものとして認識されていたのです。

私達は机をみれば、机、椅子を見れば椅子、というように見たものから情報を抜き取ることで対象を認識しています。しかし、情報を抜き取れないもの、あるいは情報がはっきりと定義づけられていないものも私達の周りには溢れているのです。
そこには情報を読解するための知識であったり、経験であったり文化であったり様々なものが関係しています。
本講座では、この情報の曖昧さ、認識の曖昧さを、服飾を皮切りに音楽や美術などの芸術作品を例に挙げ、多角的に捉えることで、認識が切り替わることで生まれる価値や、対象に対する見方の変化など、私達の身に日々生じている作用を少しずつ探っていきます。

予約受付終了

藝術との対話 層状のNarrative 〜ものがたりとしての病と芸術〜 講座情報

講座名
藝術との対話 層状のNarrative 〜ものがたりとしての病と芸術〜定期講座
講師
原木 万紀子講師研究者
日時
2014年2月8日(土)
13:30-15:30
(※会場の都合で、開始時刻が30分遅くなりました)
場所
東京大学医学部教育研究棟13階 1303 第5セミナー室(本郷キャンパス)
http://www.u-tokyo.ac.jp/campusmap/cam01_02_09_j.html
参加費
1500円
定員
定員未定

『藝術との対話』について

美術と科学。一見すると相反する分野のように思われますが、実は密接な関係を持っています。
絵画に描かれた人物や動植物をはじめ、光と影、そして絵具をはじめとする画材に至るまで、そこには解剖学や生物学、化学など、様々な学問のコードが作品に埋め込まれているのです。今回は“身体”に焦点を当て、古代ギリシャから始まり、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロなどルネサンス期の作家達による身体への探求を基点に、西洋と東洋の比較を交え現在に至るまでの美術における身体観の変容を、解剖学的な見解を交えてたどっていきます。
美術やその他科学的な前提知識は不要です。自身のもつ“身体”を通して作品の持つ魅力に迫ります。